昭和51年06月08日 朝の御理解



 御理解 第68節
 「神参りをするに、雨が降るから風が吹くからえらいと思うてはならぬ。その辛抱こそ、身に徳を受ける修行じゃ。いかにありがたそうに心経やお祓をあげても、心に真がなければ神にうそを言うも同然じゃ。拍手も、無理に大きな音をさせるにはおよばぬ。小さい音でも神には聞こえる。拝むにも、大声をしたり節をつけたりせんでも、人にものを言うとおりに拝め。」

 あまりに教祖の御教えは分かりやすくて簡潔でありますために、かえってその奥というか、心というか広さ深さに、かえって触れられないと言った様な感があります。いかに私共がそれを信心によって、私共の信心によってその時その場に、はぁ教祖が教えておられるのはこういうことでもあろうかと、その深さにいよいよ広さに触れていかなければならんと思います。
 昨日は一昨日私の方の家内の父の五十年の式年祭を、ここでさせて頂きました。それで奈良の方から家内の姉、それから甥やら姪達が三人やってきておりました。それで昨日の夕方から帰ってますから、そんならどこへか、若先生がどっか食事にでも連れて行ったらどうかと言うておりましたから、まぁ行くように昨日段取りをしておりました。そして私が行かんと言いましたら、親先生が行かれんならば、もう意味がなかというて行かんと言いましたから。そんなら行かんならんというてから。
 何時位からだったでしょうか、私が行くということになりましたから、皆んなが行く行くというもんですから、結局大人ばかりが十六人、それに乳飲み子まで連れて、嫁達まで一緒に行きましたから十九人になり。それで自動車は高橋さんの車を一台、それから確かむつやさんの車だったでしょう一台。四台に分乗してまいりました。四台でまいりますからちぐはぐになって、まぁ昨日はあのうあすこの高速道路を行ったら、そんなら久留米よりか一足のばしてから柳川の船下りでもして。
 あちらでご飯でも頂こうかと言う事になって、私もまだ聞いてはおりましたけれども、船下りを知りませんでした。それでもうお花ならばお馴染みだから、あちらに電話をかけてあちらに席をとって貰って、して帰りを夕食でも頂いてから、まぁ帰ってこう一日を柳川で過ごそうと言う事でございました。ところが私共のその、私共の車は二台先行しました。なら待てども待てども後の二台が来ません。それがそのう奈良から来とりました、あのう子供が運転免許を取ったばかりで。
 そして栄四郎も幹三郎もおるのに、こりゃもう僕が運転するち言うてきかんそうです。だからそれからそれが運転しよってから途中で捕まって、何か取り立てのなにか車になにかシールか何か貼らなきゃいけないんですね。それを貼ってなかったげなけん、それでも断りをい言うたげなけどきかれん。三千円かなんか取られた。それでもう来るはずでしたからあのう、すぐお花の方で舟着き場の方へ交渉してあって、あちらまではハイヤーで行かなければならない。
 だから四台のハイヤーを呼んでおりましたけれども参りません。とにかく行こう行こうと言うて、あのうみんなこう二台だけは参りまして、何かその時にぐすぐすし乗るとがぐずぐずしよりましたから、はよはよと言いながら遅なって、それからあのうあそこのお花を出かかりましたら、ようやくその二台の車がやって参りました。そんな訳でまぁ一緒に行く事が出来たんです。そして向こうの舟着き場に着かせて頂いたら人間が一人足らんで。(笑)聡子を忘れてきとる(笑)。これには私もたまがりましたですね。
 それはもう本当におかしいやら本当にあのう可哀想なやらでですね、そりゃ違わん泣とろうち思うてから。それから若先生がすぐまたあのう引き返してから迎えにいきました。そしたらもうそのあの広い中をやっぱ一人でぐるぐる回って探して回りよったそうです。それであそこの女中さんが、あなたは名は何ち言いねと言うたら、あの大坪お母さんち(笑い)。それからそのうそうていほんに元気もんですよ、泣きもしなさらんち言いなしたそうですが、若先生の顔を見るなりまぁ泣き出したということでしたが。
 それからあそこでちょっと時間を船を待つしとります間に、お湿りがずっとありだしましてね、だからこげんお湿りがあるごたるなら、しかも舟にあのう二艘乗らなきゃならない。ならもう帰ろうかと言いよりましたらあのう船が来た、お湿りもあがったというので、ならやっぱり行こうと言う訳で参りました。そしたら丁度その時にその十六人乗りのそれが一艘ある訳です。それが丁度やってきましたから、ならこれに皆んなお乗りくださいと言うて、子供とも十九名丁度よい案配にあのう船を。
 まぁそりゃあのうそれこそ詩情溢れるばかりの、北原白秋のあそこは産地ですからね。かと思うたらまぁ汚い掘りのような河ですけれども、まぁ子供達はみんな大変喜びましてから、まぁ一時間あまりですか、まぁ河下りをさせて頂いとる中でいっぺんお湿りがザーッとありだしました。そしたらビニールをね、ビニールをかけるんです。そして皆んなでこうやってもつと雨がこうして、まぁなかなかそのう工夫がしてあります。それこそ雨に煙る柳川ですかね。もうまた別なそりゃ趣でそのう船下りをさせて頂きました。
 それからまた私共は知りませんもんですから、あのうバスの停留所から船着き場へ行って、そこからまたお花まで行くのは、疲れるなと言うたら、いいえこれはお花のすぐ表に着きますから、そこで降りなされたらええと言うので、まぁあすこであのうほんなお花の前で船が着きますから、それからあちらへ参りました。それでそのお花でそのう約束があったんですけれど、もう満席で夕方からはあのう出来ないというので、あのう夕方四時頃まで、みんなお帰り頂けば席を取っとくと言う事であった。
 それでいいと又そうでなければ夕方からまた帰りますから、なかにゃいかんと言うとりましたが、その丁度まぁみえたらしいんですお客さんが早く。それで私共の席は大広間をとってありました。それをそのままがから皆さん行かれてご承知でしょうけれども、とにかく十九人からですから大広間で子供達が暴れますし、そりゃまぁ見事なお部屋ですからかえってね、まぁ良かった訳ですけれども。そしてお風呂ども頂いて帰ろうとしよりましたら、このお広間を使いなす客さんがと言うて来たのと。
 もう帰ろうというて子供達が準備しとるのとが一緒で、私も二、三十分位休んでまぁ繁雄さんも一緒でしたから、足を揉んでもらう時間もありましてね。それからまぁあのう発たせて頂いたんです。それからあのうお花を咲きに出ようとしてしよりましたら、家内と二人でそのう一時間ばっかり前に、そのうほんにここにはあのう北京に私がおります時分に芸子をしとりました、八重子さんというのがおりました。
 確かに八重子もここの柳川と言いよった、駅前の何とかと言いよったが、もう久しゅう会わんがと言うて話しよりましたんです。そしたら若先生がそこへ私どんが車をあのう呼びにきましたね、ちょっと待て待てと言ってきましたもん。そしたらそのう若先生が結婚式の時に、いや豊美の結婚式の時にあのう来てくれました芸子さんです。ですからそのう顔を見知っとったでしょう一辺しか会うとらんけれども。
 そしたら親先生が今車で帰りなさるというので、それから一生懸命走ってそのう来て、まぁ久し振りにちょっとした話も出来て、そのうまぁ帰らせて頂きましたら、そのう丁度帰らして頂かなん時間に、とにかくちぐはぐのようであったり、きちっとしたことであったりしながら。その一日間のことが、ちょうどこの六十八節にあてはまるように思うんです。きばることもなからなければね。例えば船突き場に行っておるとお湿りがありだした。それで若先生が帰ろうという。
 いいえちゃんと神様にお願いしてあるから、乗るという風なきばった事も何もない、あぁそうねと言うてその気になっとりゃまたやむ。また丁度待っとった間に十三人乗りかの船ばっかりですけれども。十六人一緒に乗れるような船が丁度一艘やってきたと、中でお湿りがあったけれども。またそのお湿りも濡れる程しの事ではなくて、なかなか風情のある川下りをさせて頂いたと。
 そしてまぁ最後の帰りには、家内と二人でほんにあれに一遍会うてみたいなというその人にまで会わせてもろうて、まぁ帰らせて頂いたということなんですけれどもね。信心とはそれだと思うんですよ。雨が降るから風が吹くからえらいと思うてはならん、その辛抱こそ身に徳を受ける修行じゃとこう言う。辛抱こそということは、その雨やら風やらがかえって反対に生きて来るという意味なんです。
 私共昨日のあれが暑くてもうそのう傘をさしたりせんならんような中に、例えばあの川下りをするのではなくて、かえってどんよりと曇った、もう詩情あふれるばっかりの柳川の町を、またはビニールを被ったりしながら船下りをさせて頂いたと。そしてあのう一番あちらのお客さん達が喜びましたのは、私船の中に何にも飲み物も食べ物もそのう入れてなかったんです。それでみんなが退屈そうにしてましたけれども。
 何にも食べてなかったおかげでしょうか、あちらで注文しておりました会席に、あのう鰻の蒸しがでてました。ですからそれがもうとにかく大阪あたりで食べる蒸しとは、全然味が違うというて大変喜んでくれましたことで、もう大体姉なんかはもうちょっとしか食べんのですけれども、始めてこんなのは頂いたというて喜んで頂いたんですけれども。もうまぁ今日はもう本当何か罰金は三千円取られたそうです。
 けれどもそげな事で、本当にルールを守らなきゃ行けない様な事を、若い者ばっかりで感じた事でしょうし。それから遅かったり早かったり、ちぐはぐであった事が、みんな揃う事になったり、まぁ本当に今聞いて頂いた通りの様に、もう何かそこにつまずきがあったようであって、そのつまずきのおかげで、次のおかげにちゃんとこう展開していっとるという。私共の日々というものは、そういう風にあったら、どんなに楽しい信心生活が出来るだろうか。
 本当にこりゃしもたと思う事もおかげじゃったですねと、あんまり調子ようばっかりいきよっても、やりそこのうてもいけない。けれどもそのやりそこのうた事も又おかげという風にです、そのう雨なら雨を生かしていくということが。私はそのままお徳を受けることだ、いうなら神様の心を信じ、また知った者の生き方だというふうに思うんです。信心しとるからとこうきばるところが全然ない。
 だから信心のない人たちがこの一行に加わっとったら、何でもない事でしょうけれども、心の中にいつも神様を頂いておるものたちばかりですから、はぁ神様のご都合には恐れ入ると言いながら、まぁ一日楽しく過ごさせて頂いた訳です。私共信心生活もやっぱりそう言う様にね、全ての事を生かしていく生き方、いうならそれは雨であろうが風であろうが、それをお徳を受けて行く事の為の修行とさせて頂く。
 生き方を身につけていく。そしてそれが身についた時にはです、信心生活がもう実にスムーズな、日常生活ということになってまいります。日常生活もまただから楽しい有り難い、まぁ今日一日考えたら、あれもおかげじゃったね、これもおかげじゃったね、本当に万事万端御神護、神様のお計らいの中にあるね、と言うてお礼が言えれるような、日々でありたいと思いますね。
   どうぞ。